大学受験(京都大学工学部物理工学科)までにどんな勉強をしていたか?

勉強

 こんにちは、自信コーチの阿部洋太郎です。大阪市内の自宅でこの記事を書いています。さて、京大卒・東大院卒という私の学歴を知った方からは「子供のころから頭良かったんですよね?」とよく聞かれます。が、子供の頃に「頭いいねー」と言われたことはありません。車に轢かれたりこけて歯を折ったり、思慮浅くしょっちゅう怪我してくる子供で、両親には多くの心配をかけました。

 もう一つ聞かれるのが「どうやったら京大に入れるんですか?」という質問。聞かれたときは頑張って答えるのですが、私の話を聞いた方のリアクションは芳しくなく、毎回心苦しい思いをしてきました(笑)。ということで、次に聞かれたときに答えられるように、大学受験までを振り返って“ポイント”がどこだったかを考えてみました。

幼稚園の時は言語発達障害

 実は私は子供のとき言語発達障害でした。と言っても、自分ではほとんど覚えていません。幼稚園の時に言語トレーニングの施設に通っていた記憶はうっすらあります。母親に聞くと、「自分の言いたいことが伝わらずに悔しくてよく泣いていた」と言われました(自分では苦労した記憶は全く残ってないです)。幼稚園の間で支障なく話せるようになって小学校に入ったのですが、珍しいケースだったらしく入学した時に新聞に載りました。その後も見た目がぼんやりしていたのと話すのが苦手だったのとで、「頭が良い子」に見られたことはありませんでした。

小学4年から石川県金沢市へ

 小学校低学年までは大阪市内の公立小学校に通っていました。低学年の時の記憶はあやふやですが、勉強が出来た感覚はありません。漢字テストと九九テストで、放課後に補講を受けてた記憶があります。本はよく読んでました。学童保育で学校に残っていた時や家に帰ってから。読んでた本はほとんど覚えてませんが、谷川俊太郎の詩集と「愉快な数学者たち」はかすかに印象に残っています。小学校の時は虫取りと鉄棒でよく遊んでました。鉄棒ではグライダーばっかり飽きずにやっていました。ちなみに逆上がりは出来なかったです(今も出来ないままです)。

 小学校4年生の時、親の転勤で石川県金沢市の公立小学校に転校。近所の友達の家に入り浸ってマンガ(ドラゴンボール)とゲーム(ストⅡ)にどっぷり浸かってました。石川県は教育熱が高く、熱心な先生が多かったです。特に5年と6年の時の担任の中山先生は、休日もいろいろなイベントを企画してくださいました。学校の屋上で「星を観る会」。土星の輪が見えたことを覚えています。化石発掘、ソフトボール、白山での山歩き・・・。いろいろな体験をさせていただけました。他に小学校高学年で記憶に残っているのは遠足で行った“長坂用水”。江戸時代にトンネルを掘って作られた農業用の用水の中をジャブジャブ上流の取り入れ口まで歩いて行ったのを覚えています。この頃に父親から波の合成の話聞きましたが、全然理解できなかったこともなぜか記憶に残っています。

 小学生・中学生のときは、姉がやっていた進研ゼミを自分も受けさせてもらってました。といっても真面目にドリルをやらず巻末のマンガだけ読んでました。親に怒られてちょっとだけやって、プレゼント目当てで添削テストだけ出す。今にして思えばもったいないことをしてました。

 母親は奈良女子大学の数学科卒で、「愉快な数学者たち」を貸してくれました。その頃の話もしてくれていて、なんとなく自分は京大に行って数学者になると思っていました。父親はゼネコンで現場監督をしていて、仕事の話や福井大学の建築科に通ってたときの話をたまに聞きました。父親は“話を盛る”ので、あまり真面目に聞いていませんでした。

父親との賭けに勝った中学時代

 中学校は金沢市内の公立中学に進学。めっちゃ遠くて徒歩で片道30分かかりました。中学のクラブはバスケ部に入りました。練習は毎日夜遅くまでしてたのですが、全然上手くなりませんでした。瞬発力がなくマークが振り切れない。視野が狭くチームプレーができない。ずっと補欠で1試合も出られませんでした(泣)

 勉強に関しては、入学式後の最初の実力テストでは真ん中くらい。その時に父親と「私が学年10位以内に入ったら父親はベランダでタバコ吸う」という賭けをしました。ヘビースモーカーだった父親をベランダに追い出す。目的が決まったことでやる気は高まりました。中学の先生も熱心な方が多く、賭けのモチベーションもあって授業は真面目に聞いてました。

 定期試験では2週間前くらいから計画を作って毎回試験勉強をしてました。試験勉強は「とにかく問題を解く」。自分で作った暗記テストと教科書や宿題で出た問題を解き、答え合わせし、間違った問題は再度挑戦する。解答を見ても見て分からない問題があったら、教科書で調べたり先生に聞きに行っりする。問題を解く→答え合わせ→問題を解く→・・・を全問正解できるようになるまでやってました。秋の中間テストくらいで平均点が90点を超え、10位以内に入り、めでたく父親をホタル族(ベランダでタバコ吸う)に追い落としました。

 親の転勤で、中学3年で大阪市内の公立中学に転校。バスケ部は夏休み前までやっていました。中学3年からは、定期テスト向けの勉強の他に高校受験の過去問もやり始めました。勉強法は変えず「問題を解く→答え合わせ→問題を解く→・・・」の繰り返しで、五教科の平均点も95点を超えて学年トップになりました。高校入試は清風高校と北野高校を受験しました。清風高校の入試では、特進クラスは落ちて普通科で合格。試験前日に父親から将棋に誘われ(緊張を解こうとしてくれたんだと思います)私が父親に勝ったら不機嫌になり父が勝つまで何回もさせられ、最後は自分が負けてすごく嫌な気分で試験に臨んだことを覚えています(笑)。北野高校は合格。当時は内申点と当日点が半々で、内申点10点が固かったので余裕を持って受験できました。

北野高校と大阪北予備校での大学入試対策

 北野高校での最初の実力テストは250位/400人くらい。クラブ活動が盛んな高校でしたが、中学バスケ部で疲れていたこともあり帰宅部を選択しました。遊びに行くような友達もできず、彼女も当然できず、学校終わったらすぐ家に帰ってのんびりしてました。家での勉強は、宿題あれば宿題やって、あとは定期テスト向けの勉強。試験勉強は2~3週間前から始めてました。勉強方法は中学の時と同じで「とにかく問題を解く」。北野高校では教科書以外に学校指定の参考書も購入しており、1教科につき2~3冊は使ってました。数学・英語・理科は「問題を解く」。社会は自作の暗記テスト中心。国語だけはいまいち勉強法がわからず、漢字覚えるくらい。定期テストは範囲が狭いこともあり、2~3週間でほぼ万全の準備で試験を受けることができ、1学期の中間テストからずっと平均点90点くらい取れました。クラブ活動に打ち込んでいる同級生が落ちていく中で順位は浮上していき、1、2年は10~20位くらい、3年で3~7位くらい。

 高2になるときに文系・理系の選択があり、国語英語が苦手だったことから理系を選択。進路については、進学校だったこともあり大学にはいくものと思っていて、3年になる時にどこに行くか具体的に決めました。校内の順位が上がってきたことから「いい大学」、出来れば一人暮らししたい、東京は遠い、ということで京大を選択。小学生のときに読んでいた「愉快な数学者たち」の影響もあったかもしれません。その当時は「大学出てサラリーマンになる」のが当たり前だと思っていて、理学部だと就職が難しそうだから工学部を選択。大学資料を見ていてメカっぽいイメージのあった物理工学科を選択。将来のことはぼんやりしてました。

 大学入試対策は2年が終わった春休みから始めました。帰宅部で時間はあったので結構時間は取ってました。休みの日で5~10時間、平日は1~3時間くらい? 記憶はあいまいですが、長時間してたのは間違いありません。高校3年の春休みに高校の近くにある「大阪北予備校」の現役向けクラスの説明会と体験講座に参加し、3年から大阪北予備校の現役クラスに行きました。取ったのは国語と数学。国語は何をやっているのか理解できませんでした。数学では最初の講義で「昔の偉い人が苦労して解いた問題を18歳の凡人が解けるわけがない。覚えろ」とスキンヘッドの講師から言われたのが衝撃でした。受験勉強でも、とにかく問題を解いて覚えてました。

 高校でも受験対策はしていただけました。スケジュールの組み方も、国公立だけの場合/私立と併願する場合に分けて教えていただけたり、センター試験の“解き方”も補講でやっていただけました。記憶に残っているのが「日本史のセンター試験対策」。これまでの傾向と解くときのポイントを丁寧に教えていただけて、センター試験本番でも94点取れました。

 模試は春夏秋と3回受けました。最初の京大模試では英語で200点万点中9点とびっくりするような結果に。頑張って全部埋めたのにほとんど×になってて衝撃を受けました(笑)その時は数学と物理は成績上位者になりC判定。予備校で「現役でC判定なら十分合格できる」と聞いていたのと、京大工学部は後期英語がなかったのとで、「最悪英語は出来ないままでもいい」と余裕は持っていました。センター試験は平均で90%を少し切るくらい。願書は前期と後期に京都大学工学部物理工学科、中期に大阪府立大学と、国公立のみ出願しました。今は分かりませんが、当時の北野高校は「一浪して国公立」が主流派でした。周りの影響もあって、私も「ダメやったら一浪」と思ってて、割合気軽に受験できました。結果は前期試験で京都大学工学部物理工学科に入学。試験の手ごたえはありました。

大学受験のポイントは?

・・・長々と過去を振り返りましたが、ポイントとなったのは以下の3つだと思います。

1. 小分けして勉強していた。

 一度授業についていけなくなると、授業は「分からない話を聞く苦痛の時間」に変わります。そうすると授業を聞かなくなり、更について行くのが大変になり、苦痛が増し、・・・と負のスパイラルに入りやすいです。そういう意味では、中学1年の1学期の中間テストからこまめに勉強していたのは良かったです。

2. 「問題を解く→答え合わせ」の繰り返し

 試験勉強でやっていた「とにかく問題を解く」は良かったです。問題を解き、答え合わせし、間違った問題は再度挑戦する。分からないところは教科書や先生に聞きに行ってマスターする。全問正解できるようになるまでやる。「分かった」で終わらずに「試験問題を解ける」まで理解を深めることが出来ました。
 

3.成功イメージ

 両親が大卒で姉も進学したため、大学に行くのが普通だと思っていました。試験勉強も受験勉強もするのが普通だと思ってました。

・・・「じゃあ、高校2年まで遊んでて、今高校3年で大学に入れる自信が全然なかったら合格できないの?」と思わるかもしれませんが、別にそんなことはありません。わざわざ中学1年の内容から復習する必要もありません。今できていなければ、今からやればいいです。その時に、①成功イメージを持つ ②分からないところがどこか把握する ③小分けにして取り組む の3つのポイントを押さえておくと、効果的に勉強できます。「具体的にどうやったらいいか」については、また後日書きます。

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